人類の歴史において「死んだらどうなるのか」という問題は、洋の東西を問わず、はるか昔から様々に考えられてきたことであります。「死んだら天国に行き、安らかに眠る」「死んだらそれで終わりで、完全な無になる」など、実に様々な考え方があります。それでは、仏教においては死後の問題をどのように考えるのでしょうか。

仏教においては、あらゆる生きものは生きている間に様々な行為(業ごう)を行い、その行為の結果として、死後に別の世界に生まれ変わると考えます。この別の世界というのは六種類あり、この中のどれかに生まれ変わることを六道輪廻といいます。

  • 地獄・・・地下にある牢獄の意。苦しみのきわまった世界。
  • 餓鬼・・・常に飢餓に悩まされる世界。
  • 畜生・・・人にたくわえ養われて生きているものの意。鳥・獣・虫・魚としての生存状態。
  • 阿修羅・・・絶えず対立し闘争する者としての生存状態。
  • 人間
  • 天・・・優れた楽を受ける喜悦の世界。

(本願寺出版社『浄土真宗聖典』より)

ですから、今現在人間として生きている私たちも、過去の世界において様々な行為(ごう業)を行い、その結果として人間として生まれ変わった存在であるということになります。そしてまた人間として行為(ごう業)を積み重ね、死後には次の世界に生まれ変わっていくというわけです。

このように、仏教においては「あの世」という考え方は本来、ありません。死後に趣く世界というのはろくどう六道のどこかであり、この先のはるか未来においても、一つの世界にずっと留まり続けるということは考えられていないのです。

私たちの宗派、浄土真宗においては、阿弥陀如来さまのお慈悲をいただき、今の命を終えた後は、阿弥陀如来さまの極楽浄土という世界に往生させていただくと考えます。阿弥陀如来さまとは、はるか昔からろくどう六道りんね輪廻から抜け出せず苦しみ続けている私たちを何とか救いたいと考え、ろくどう六道りんね輪廻を超えた世界である極楽浄土をおつくりになられた如来さまであります。

そして、私たちが浄土真宗のみ教えをこうして味わわせていただけるのは、人間に生まれることができたからであります。妙好人の源左さんは、山仕事をしている時に狐に出会い、「ものを云つても分らんだらあけつど、後の世にや人間に生れ来いよ」と言い、お念仏を申したそうです。一緒に仏法を喜ばせていただこうと考えたのでありましょう。

私たちは幸いにも、人間として生まれることができました。今現在、私たちが仏法聴聞させていただいているということがどれだけ稀有なことか、有り難いことであるか、改めて考えてみることも、大切なことなのではないでしょうか。

大野光沢